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Weststrate & Glück (2017)

8月 27, 2017

Weststrate, N. M., & Glück, J. (2017). Hard-earned wisdom: Exploratory processing of difficult life experience is positively associated with wisdom. Developmental Psychology, 53, 800-814. doi: 10.1037/dev0000286

PTGのモデルに含まれている構成概念で,これまで深く研究対象にしてこなかったものに「Wisdom(英知,知恵)」がある.英知の備わっている人のイメージとしては,杖のついたおひげのおじいさん.アルプスの少女ハイジに出てくるクララのおばあさん.穏やかで,動揺せず,先を見通していて,包み込むようなイメージ.でも必ずしも年をとった人だとは限らず,(具体的な例は思いつかないけれど)誰かがWisdomを発揮している場面にでくわすと,「うわあ...さすがだな」と思い,自分もそういう解決方法とか,咄嗟の行動とか,言葉のチョイスとかができたらいいのにな,とか思ったりする.また,自分で何かを決めた後で,もう一度よく考えてみたらそうするんじゃなかった,と悶々としたりして,せっかく「三人寄れば文殊の知恵」と言うことわざがあるんだから,色々な人の意見を聞けばよかったなと思うこともある.「健康(well-being)」や「幸せ(happiness)」,「満足(satisfaction)」などの軸とは,また別の「賢さ,英知(Wisdom)」の軸.私の大学はあと一週間で入学式.新学期が始まり,うちの研究室にも新しいメンバーが加わる.彼らとの新しいプロジェクトを考えるにあたってWisdomの研究はどういう手法を取るのか勉強しておきたくて夏休みの間に読んでいた論文がこれだ.

  • 定義:Wisdomには,「成熟した人格特性」など,いろいろな定義がある.我々はWisdomを「人の一生についての本質的な事柄に関する,経験に基づく知識の体系.幅広くかつ深く,暗黙の性質をもつとともに明白な性質をもつものである」と定義する.Wisdomは,アドバイスをしたり,何かを決定したり,問題を解決したりする力として顕在化する.
  • 問題:一般の人も専門家も,Wisdomは,人生上のさまざまな経験を通して育まれるものだと信じている.しかし,経験を積んだ人の全てが賢いとは限らない.我々は,経験に伴う「内省」のあり方が,「経験」と「賢さ」をつなぐ鍵ではないかと考えて本研究を行った.過去を振り返ることが,逆に,人生において前進することに繋がり得る,というのは興味深いテーマだ.この「過去を振り返る」ということに関して,本研究では,二つの問いを考えたい.
    1. なぜ人は自分の過去を振り返るのか:回想する理由,3つが考えられる.
      • 自分のため:人生は状況に応じていろいろ変わるけれど,そんな中で,自分に関しては一貫した感覚というのを時間を超えて保持しておきたくて,人は過去を振り返る.
      • 方向性を得るため:今,あるいは未来に,何か解決しなければいけないような状況があって,それへの指針を得るために過去を振り返ることがある.過去を思い出すことでこれからどうしようとか,どんなふうに解決しようとかのヒントを得る.
      • 人間関係のため:思い出を共有することで,人間関係を円滑に進めたり,維持したり,より絆を強めたりするために,過去を振り返ることがある.
    2. どんなふうに人は過去を振り返るのか:自伝的推論(自叙伝の組み立て方),2つある.
      • 過去を探索するプロセス:起きたことを振り返って,そこに何か意味があったのかなどと探索したり,いろいろ調べたり,自分を分析してみたりして,過去からどう自分が成長するかとか,洞察を得ることができるかとか,複雑な事象の中に意味を与えることができるかなど,あれやこれやと探索するプロセスである.
      • 過去を清算するプロセス:起きたことに関して,特に最初はネガティブな内容であった場合,それをポジティブなものへと変えることによって,もうそのことは終わったことだとか,解決したことだ,のように幕を引くプロセスである.
  • 目的:本研究では,これら二種類の内省のあり方(3つの理由と2つのプロセス)とWisdom,そしてウエルビーングがどう関連しているのかについて検討する.
  • 方法:Wisdomをどう操作的に定義して測定するのかについて共通の枠組みが存在するわけではないので,本研究では3つのやり方でWisdomを測定した.
    1. Wisdomがあると推薦された人々を特定して,そのグループ(47名)とコントロール群(47名)をサンプルに用いた.両群は,性別や年齢など,Wisdom以外の変数は可能な限りマッチングされた.彼らは2度のインタビューに参加し,1回目のインタビューの際に,Wisdomに関連する課題に口頭で回答した.その後でインタビューを行い,人生で最も辛かった,あるいは困難であった出来事について語ってもらった(後でそれをコード化して分析に用いた).
    2. Wisdomに関連する自己報告式の尺度3つを用いて,それに回答してもらった(3D-WS: Three-Dimensional Wisdom Scale; SAWS: Self-Assessed Wisdom Scale; ASTI: Adult Self-Transcendence Inventory).
    3. Berlin Wisdom Paradigm (BWP)と呼ばれる,Wisdomに関する課題に取り組んでもらった.これは一言では答えられないような難問,人生におけるジレンマとも言える課題についてこちらが問い,それに対して口頭で回答してもらうというものである.そのコーディングの訓練を受けた研究者が,その回答の内容をコード化し,分析に用いた.
  • 結果:Wisdomは,測定の方法に限らず,内省の頻度とは無関係であったが,どんなふうに過去を振り返ったかという自伝的推論とは相関がみられた.具体的には,「過去を清算するプロセス」よりも,「過去を探索するプロセス」と,より強い正の相関関係にあった.また,Wisdomは,何のために過去を振り返るのかという理由とも関連しており,「自分のため」という理由はWisdomと正の関連を示していた.「方向性を得るため」という理由は,課題をこなすことで判定されたwisdomとは相関関係にあったが,自己回答方式のwisdomとは有意な相関が見られなかった.一方,wisdomとウエルビーングの関連も調査したが,課題をこなすことで判定されたwisdomはウエルビーングと全く関連が見られなかった.しかし,自己回答方式のwisdomとは正の相関にあった.ちなみに,Wisdomと関連がみられなかった「過去を清算するプロセス」は,ウエルビーングの要因である「適応」と正の関連にあった.
  • 考察:本研究の結果,wisdomの測定の仕方によって多少の違いは見られたものの,ほぼ一貫して,どれくらいしょっちゅう内省するかという頻度が大切なのではなくて,どういう理由でどんなふうに内省するかが影響を及ぼしていることが明らかにされた.最も興味深い点は,過去を探索するプロセスがwisdomを導き,過去を清算するプロセスが適応を導いていたという点だ.賢者は,たとえ答えのないプロセスであったとしても,過去を振り返る際,楽になる道を選ばず,意味や成長を探索する可能性がうかがえた.一方,適応の良い人は,過去に区切りをつけ,捉え方を前向きなものにして,けりをつける傾向があるようだ.今は,wisdomが必要とされている世の中だ.もっとこの分野の研究が進むことを期待したい.

私がこの論文で大切だと思う点は,「起きた出来事をポジティブにとらえなおすことによって自分の中でけりをつけ,前に進む」ということこそがPTG,だという考え方では十分でないということを確認できた点につきる.「けりをつけて前に進むこと」が浅はかだという気は全くないし,それがそもそもPTGではない,とも言わない.「けりをつけて幕を引き,前に進む」ことがPTGというのも十分にありえる.けれども,それこそが,あるいはそれだけがPTGではない.けりをつけずにいることもPTGでいいんだということを確認できた気がするという意味だ.「あのこと」に意味がみつからなくても,「あのこと」が全く解決していなくても,それがすなわち「じゃあ,PTGはなし」ということにはならない.「探索」のプロセスと「清算」のプロセスをwisdomと関連付けたというこの論文には本当に勇気をもらった.

そういえば,UNC Charlotteにいる頃(つまり渡米した直後),大学の廊下で,明らかに年上で先生っぽい人がいると,なんとなくふわっとおじぎをするという習慣が抜けなくて,よく指摘された(実際,本当に不思議なんだけれど,その,礼をするというか,目線を下げる習慣が身体にしみついているかのようで,結構意識してやめようとしたが,全くおじぎをしないで通り過ぎるのがどうも失礼な感じがしてすごく居心地悪かった.挙動不審にならず廊下を歩けるようになるまでに結構時間がかかった).Richには,面と向かって<なぜ通り過ぎる学生にはおじぎをしないのに,年上の人におじぎをするの?>と聞かれた.「だって,年上はやっぱり尊敬すべきだから」<なぜ年上というだけで尊敬すべきなの?>「私より長く生きているということはいろいろ経験しているだろうし」<なぜ聞きもしないで,いろいろ経験しているとわかるの?>「いや,だって年上の人は,もう生きているというだけで絶対何か経験しているし,私よりは知恵があるし」<えー.年上で全く知恵のない人だってたくさんいるし,子どもでもwiseな場合があるでしょう>「いや,まあ,それはそうなんだけれど...」.こんな感じの会話があったと思う.あまりにも当たり前だと思っていたことについて面と向かって聞かれて全然答えられなかったから覚えている.

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