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Tedeschi & Blevins (2015)

5月 18, 2018

Tedeschi, R. G., & Blevins, C. L. (2015). From mindfulness to meaning: Implications for the theory of posttraumatic growth. Psychological Inquiry, 26, 373-376. doi: 10.1080/1047840X.2015.1075354

意味などない,悪夢としか思えないような出来事の中に何らかの意味を見出せることもPTGの一つだ,と考えてきた.でもはたしてそうだろうか.「多くの研究者は,怒りと暴力と復讐が鬱状態を解消する薬になるらしいことに注目している.憎しみと復讐によって意味と目的があたえられ,鬱病による無力感と苦痛を撥ね返すのである.チェチェン紛争で死傷した戦友の復讐を誓ったロシア兵には,まぎれもなくこの作用がはたらいていた.報復行為は世界中の文化圏で報告されている.中略.考えられる理由の一つは,暴力は興奮をかきたて,力をあたえ,鬱の苦しみから強制的に気持ちをそらせるはたらきがあるのかもしれないということだ.それがほんとうなら,背筋が寒くなるような可能性が考えられる.若者のあいだで鬱病と自殺の率が上昇しているとすれば,他者への憎悪と暴力もそれにつれて増加するのではないか.それは,意味も目的もなさそうな世界で,粗暴な若者が鬱病をみずから治療しようとする行為なのかもしれない(ラッシュ・W・ドージアJr著.桃井緑美子訳「人はなぜ『憎む』のか」河出書房新社.P.130)」.

引用が長くなったが,この本には,PTGの研究の中で見過ごされてきた「意味づけ」のある重要な側面が描かれている.こういった観点の意味づけとPTGについて,また防衛反応としての意義を持つであろうPTGについて,さらに自分なりにいろいろと考えるために,ここでは,Tedeschiらの2015年の論文を要約する.

この論文は,マインドフルネスが,いかにポジティブな情動制御または感情調節(英語でEmotion Regulation)に影響しているか,そしてそれがどう意味づけにつながるか,というプロセスの理論モデルを構築したDr. Garlandらによる巻頭論文に対して,Rich Tedeschiが院生のCaraと一緒にコメントしたものである.

  • はじめに:Garlandらによる巻頭論文は非常に興味深いものであった.彼らが言うように,これまでの研究では,マインドフルネスがいかにネガティブな精神状態を落ち着かせ,問題となっている症状の緩和に効果的かという視点が中心だった.しかし,Garlandらはそういった先行研究に対して,マイナスをゼロに戻す働きだけでなく,意味を見出したりウエルビーングを増進したりというポジティブな方向への変化にもマインドフルネスが効果的であることを示した.我々もトラウマからどのようなプロセスで成長や意味が生じるのかについて研究してきているので,多くの点で同意できる.
  • PTGについて:歴史的に見て,心理学や精神医学領域の研究は,トラウマやストレスによって生じた問題や欠陥を改善・緩和することに焦点を当ててきた.しかし,セリグマンやチクセントミハイリ,そして我々のこれまでの研究に代表されるように,ネガティブな経験からポジティブなものが見出される可能性にも光が当てられるようになってきた.そのようななかでPTGは,認知的・情動的・社会的なプロセスが複雑に絡まって経験される成長だと理論化された.具体的な成長の内容は「人間としての強さ」など5つの領域にみられる.PTGとは,トラウマが生じる以前に構築されていた「中核的信念・想定されてきた世界観」が崩れ落ちることによって突き動かされるプロセスである.
  • 想定された世界観,熟考,認知:ジャノフ・バルマンが理論化したように,トラウマの深刻度合いは,それまでに想定されていた世界観がトラウマによってどれだけダメージを受けたかで理解される.出来事が深刻であればあるほど,基本的な安全感や将来に対する見込み,アイデンティティや意味などに関する世界観について,問い直しを余儀なくされる.それが苦痛そして反芻につながり,不安や抑うつ,過覚醒を引き起こす.このプロセス自体はトラウマによって大きく変わってしまった状況になんとか対処しようとする自然な心の動きである.しかしそういった性質の反芻が,時間が経過するにつれ,より意図的な性質を持つ熟考へと発展する場合がある.これがGarlandらの理論の中で,意味づけやウエルビーングにとって鍵だとされている「ポジティブな再評価」を導くと考えられる.あえて区別するのであれば,我々の言う「意図的な熟考」は認知プロセスであり,彼らの言う「ポジティブな再評価」は認知の内容である.そして,侵入的反芻から意図的熟考へというプロセスに,マインドフルネス,脱中心化,ポジティブな再評価が関連している.
  • 熟考,再評価,マインドフルネス:マインドフルネスによって,思考や感情に直接関与しつつ,同時に批判的になることなくメタ認知により高次の意識にアクセスする.それによりトラウマ直後の強烈な反応が徐々に落ち着き,一歩ひいた感じで自らが経験したことをみつめることができる.これが,我々がPTGにとって必要だと言ってきた「弁証法的であって,かつ(喪失が恩恵を生み出すといった)矛盾を含んだ思考」を促進してくれる.マインドフルネスによって,トラウマに合った人は,脱中心化を経験し,自分の人生のナラティブに対する執着心を徐々にほどくことができる.PTGを語るとき,人は,トラウマによって大きく変わってしまった人生の物語がなんらかの結末を迎え,ある意味で解決したと感じていることが多い.PTGを経験した人は,そういったすべての経験を意味あるものだととらえ,真の幸福につながるウエルビーングの感覚とともに残りの人生を歩んでいく.
  • PTGの5因子について:上記のような認知プロセスによってPTGの実感がもたらされるとしても,5つの領域すべてにわたってPTGが経験されるはずだと思ってはいけない.また,およそどれくらいの期間でPTGが経験されるはずだ,といった予測もするべきではない.我々はある程度の深刻さをもったトラウマがPTGの生起にとって熟考を導くためにも必要だと論じてきたが,あるその深刻さの境目を越えた時,つまり苦痛があるポイントを超えた時,PTGはむしろ生じにくくなり,ネガティブな心理社会的反応が強くみられやすくなる.したがって,トラウマの深刻度がその後にどう影響するのかについて更なる研究が必要だろう.
  • 注意点:Garlandらが整理したマインドフルネスの有効性は理解できるが,マインドフルネスの実践がむしろ逆効果を招く場合もあることに注意を向ける必要がある.特にトラウマを経験し非常に傷つき弱っている人にはマインドフルネスが悪影響をもたらす場合がある.我々が「エキスパート・コンパニオン」というキーワードでこれまで論じてきたように,サバイバーと共に熟考や再評価といった各ステップに最適なタイミングをみつけていくことが重要である.特に近年の研究から,マインドフルネスで,認知に強く関与することによって,むしろ解離やパラノイア,不安,抑うつ等のマイナスの影響がみられる可能性がわかってきた.16世紀に十字架のヨハネが『暗夜』を記したように,危機と苦悩は世界各地,あらゆる宗教,人類の歴史の中で繰り返し述べられてきた.マインドフルネスを実践することによって余計に混乱したり何がなんだかわからなくなったり,非常にネガティブな気持ちになったりすることも報告されている.さらに,今日マインドフルネスとして特に西洋で理解されている内容は,非永続性,苦悩,無自己の3つの洞察を目的とするテーラワーダ(上座部)仏教を色濃く反映しているように見受けられる.したがって,そういった宗教観が合わない人もいることに十分留意しておく必要があろう.キリスト教やヒンズー教を背景とするようなマインドフルネス,ストレス低減を目的としたマインドフルネスのプログラム,またヨーガや太極拳など身体を動かすタイプのマインドフルネスの方が合う人もいる.
  • 結論:この20年でマインドフルネスがかなり普及してきた.瞑想の効果に関して,科学的な研究,エビデンスが積み上げられている.今回特集されたマインドフルネスから意味づけへの理論について研究が明らかにしてきたことはたくさんあるが,マインドフルネスの適用可能性,効果,一般化にまつわる問題など,まだ解決すべき重要な問いが残されている.

やはりこの論文を読むと,人生で最悪なことは起きるけれど,だからと言って人生そのものが根本的に無意味でどうしようもないというわけではなく,人生には何らかの意味はあると思えることがPTGと同義だと考えられているようだ.それはそう感じることができない場合,ほぼ自動的に絶望がもたらされると想定しているからだろう.なので,あたかもこの前提には疑問の余地がないように語られている.

そのため,マインドフルネスが万能でないことを論じているこの論文で,マインドフルネスが直面している問題点がそのままPTGにも応用される可能性があるにもかかわらず,それには言及されていない.「PTGを声高に言うことによって,トラウマを受け,苦しんでいる人がさらに傷つく」とか「PTGを経験したと自己報告しても,実際には成長を遂げていない場合も多く,その思い込みにのっかってしまうことで何か重要なものから目を背けているのではないか」とか,そういった類の問題点とは別の次元で,PTGと意味ということについて,何か根底から見落としているものがあるのではないかという気がしている.なんとなく,この道でいいはずだと思っていてそれなりに元気よく歩いていて,でも本当にこの感じでいいのかなと思いつつ,いいと言っている人がこんなにたくさんいるのだからいいはずなんだけどな,と問答を繰り返し,でもやっぱりなんかひっかかると思っていて,いよいよ多分,違うというところに来ている感覚に近い.

といったようなことをずっと考えていて,PTG以外の領域の本やら論文やらを読むことが増え,PTG文献のレビューを目的としているこのブログの更新が,ずいぶんと滞っている.ただ,年に1回になっても続けたい.

以上.

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