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Linley & Joseph (2011)

7月 30, 2014

Linley, P. A., & Joseph, S. (2011). Meaning in life and posttraumatic growth. Journal of Loss and Trauma, 16, 150-159.

今日,論文を読んでいて,「ああ,そういえば,PTGと言っても必ずしもPTGIを使って測定しているとは限らないんだった」という当たり前のことを思い出したので,その論文をレビューしたい.「Posttraumatic growth(心的外傷後成長)」というキーワードが学会誌に出たのは1996年のTedeschiとCalhounの論文で,同じその論文がPTGI尺度構成に関するものとなっている.つまり,「PTG」という現象と「PTGI」という尺度は同時に出ている.そもそもPTGとは,どうやらTedeschi先生とCalhoun先生で話をしている時に,「人がつらい出来事をきっかけとして人格的な成長を遂げてゆく」という現象があることは多くの人が知っているだろうけれど,それに名前があった方が何かと便利だろうと考え,いろいろなキーワードをリストアップしていく中で,Tedeschi先生がたまたま思いついて,二人ともすぐ気に入ったという話を御本人たちから聞いたことがある.で,その後現在に至るまで,「PTG」という現象を扱った論文のほとんどが,Tedeschi&Calhounを,そもそものスタートとして引用している.けれども,ほとんど同時期,あるいはもしかしたらTedeschi先生たちよりも前にこの現象に着目して,しかも尺度も作って論文に出したりしていた先生たちも少なからずおられる.で,そういう研究者たちの中のお二人が,この論文の著者である,イギリスの研究者Drs. Linley & Josephだ.

彼らは,1993年の論文の中で,「Changes in Outlook Questionnaire (CiOQ)」という尺度を発表している.この尺度は,災害などの危機的な事象を経験してものの見方が変わることがあるということを測定するためのものである.26項目からなり,6件法で回答を求める.この尺度は二つの下位尺度から構成されていて,一つは「ポジティブな方向への変化(26項目中11項目)」,そしてもう一つが「ネガティブな方向への変化(残り15項目)」となっている.「ポジティブな方向への変化」を測定するための項目には,例えば「私は,他の人のことを以前よりも大切に思うようになった」といった内容があり,「ネガティブな方向への変化」を測定するための項目には,「自分自身のことがあまり信じられなくなった」といったような内容が含まれている.PTGIに寄せられる批判の一つに,「PTGIは何々できるようになったというポジティブな方向しか聞いていないので,回答者にプレッシャーがかかり,回答そのものに偏りが生じるのではないか.ポジティブだけでなく,ネガティブも聞くべきではなかろうか」というものがある.だから,そういった意味では,CiOQの方がいい面がある.でも,CiOQはあまり市場に出回っていない.例えば,PsycINFOという論文検索用のデータベースで,「PTGI」を使っている論文の数を調べてみると,486本出てくるけれど,「CiOQ」で調べると29本しかない.なので,現象として着目されていても,結局のところ「PTG」という名前がついたことで,このテーマに一気に火がついた点は否めないと思う.

というわけで,随分と前置きが長くなったけれど,この論文のタイトルは「Meaning in life and posttraumatic growth(人生における意味と心的外傷後成長)」でありつつ,PTGを測定するための尺度としてCiOQが使われている.本文中にもPTGの語は一切出てこない.本当にタイトルだけ.なので,もしタイトルにもposttraumatic growthがついていなかったら,私は絶対見過ごしてたと思う.ありがたい.キーワードは大事だ.

  • 問題意識の所在:人生において大変つらい出来事を経験したとき,そこに何か意味があるのではないかとあれこれ考えることは,トラウマの後,人が再適応してゆくプロセスで大事な役割を持つといわれている.けれども,意味と一口に言っても,意味がどこかにあるはずだと考えてそれをみつけようとする心の動き(search for meaning)と,意味はあるということ(presence of meaning)では大きな違いがあるのではなかろうか.この両者を分けて考え,それぞれとトラウマ後のポジティブ・ネガティブな変化の関連について検討することを目的とする.
  • 仮説:意味をみつけようとする心の動きというのは,結局のところまだその意味がみつかっていないわけだから,ネガティブな変化と関係しているだろう.一方,意味はあると言い切る心の動きは意味が見つかっていると考えられるので,ポジティブな変化と相関関係にあるだろう.
  • 研究方法:仮説の検証にあたって,3つの異なる集団に対して質問紙調査を行った.一つ目のサンプルは,キリスト教系の教会に週一回ほど参加している比較的熱心な信者さんである.二つ目のサンプルは一般の人たちである.三つ目のサンプルは,お葬式を執り行う専門職の人たちである.仮説がすべてのグループで支持されれば,結果の信頼性が高まるであろう.
  • 結果:仮説は支持された.つまり,サンプルにかかわらず,意味をみつけようとする心の動きを高く報告した人は,ネガティブな変化を高く経験していると報告する傾向が高く,逆に,意味があるという心の動きを高く報告した人は,ポジティブな変化を高く経験していた.そしてこれらの結果は統計上有意であった.
  • 考察:本研究の結果,意味を探索中の人はストレスを感じていることが示唆された.つまり,意味を探索する心の動きそのものは苦痛を伴い,決して楽ではないことがわかった.ただし,楽ではないもののそれが後の成長につながる大切なプロセスである可能性もある.なので,その場,楽になることを優先して意味の探索を放棄したならば,後の成長にはつながらないかもしれない.けれども一方で,意味とは見つけようとして見つかるものではなく,むしろどんな状況でもそこに意味はあると信じるような考え方を取る人にこそ,成長が自覚されやすいという面もあるだろう.しかしながら,本研究では「意味」の具体的な内容を聞けていないので,「意味はある」と回答した人において,実際にどんな意味があるのかという内容が不明のままである.今後は個性記述的なアプローチによって,意味づけ,意味の探索,意味を見出すことなど,意味と人格的成長の関係についてさらに検討してゆく必要があるだろう.

ちなみに,この論文はすごくやさしい.息抜きに読むのにちょうどいい.難しい英語の表現もないし,統計の結果も記述統計と相関のみなので,本当にすっきりしている.「投稿論文」というだけでなんとなくびびってしまったり,疲れがどっときてしまうような時にこの論文を読むと,癒されるし励まされる.

以上.

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