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Tedeschi & Calhoun (2008)

10月 16, 2016

Tedeschi, R. G., & Calhoun, L. G. (2008). Beyond the concept of recovery: Growth and the experience of loss. Death Studies, 32, 27-39. doi: 10.1080/07481180701741251

Tedeschiらと新しいPTGのハンドブックを出版するため,今,執筆活動中で,あれこれいろいろ考える.前回のハンドブックが出版されたとき,UNC Charlotteにいたので,Richからこの水色の本をもらって感激したことを覚えている.あれが2006年だったので,あれから10年.ハンドブックは,その後2014年に,日本の先生方と訳して医学書院から出版させていただいたが,もう随分昔という感じがする.で,知見が古くなりつつあるので,今回,新しいハンドブックを書こうということになった.それを聞いたのは去年の夏のAPAの時で,(えー本当に書くの?私も書くの?)と半信半疑だったけれど,皆で話しているとアイデアはどんどんわいてきた.特に今回は,前回のように,各章をそれぞれの担当者が独立に書くのではなく,最初から最後まで皆で書くというスタイルだ.皆というのは,私を含め4名(Rich Tedeschi, Lawrence Calhoun, そしてJane Shakespeare-Finch)で,私がトップバッターになって,まず一章書き,二番手であるJaneがいろいろ追加して,三番手であるRichにつながり,最後にアンカーであるLawrenceが仕上げ,また私に戻ってきて内容を確認して,Janeも納得できるか確認して,という段取りなので,私は全くの白紙に書きたいことを自由に書けてとてもありがたい.しかも英語で本を書くというのはこれがはじめてなので,学術論文のように制限もないなか,言いたいことをどんどん盛り込めて嬉しい.で,今,書いている章で,「PTGと回復」について論じたいと思っているので,そのために読んでいる論文の中から一本レビューしたいと思う.この論文はデータを分析しているわけではないが,DSM5が出る5年前にRichらが自分達の臨床経験をもとに,考えをこのようにまとめていたことを知るのは興味深い.

  • 論文の構成:Balk (2004)による遺族の回復過程に関する論考に対して,「回復」という用語は不適切ではないかという観点から,意見をまとめる.本稿の立場としては,喪失に対するさまざまな反応は自然かつ正常なことであり,それに対して「精神障害からの回復」という見方をあてはめることはふさわしくないと考えている.むしろ「回復」過程はPTGのような転換や変容を導きにくいこともあり,喪の過程に対して回復とは名づけない方が良いのではなかろうか.また,「回復」と名付けることは,遺族や臨床家,そして研究者に対して「喪失に対する今の反応は治すべき精神障害」という価値観を,知らず知らずの間に植えつけることになるのではないか.自分達としては回復より「変化」という中立的な用語を用いることが望ましいと考えている.
  • イントロ:大切な人を亡くして悲嘆の中にある人に,病から治る過程と同じように「回復」という用語を使うことは避けるべきだと言いたい.というのは,「回復しなければいけない」状況にあると見立てられる遺族の方々の気持ちを,より苦しめてしまう可能性が大きいと考えるからだ(遺族の方々は,何から回復すべきだと専門家たちは言っているのだろうと思うかもしれない).多くの先行研究が示しているように,死別に引き続いて,深刻な心のもがきを経験しない遺族もいれば,日常生活が困難な状態が長期に渡って続くような苦しみを経験する人もいる.また,そのような経験から苦しみとともに心の成長を実感する人もいて,そこには大きな個人差がある.そして,一生「回復」しない遺族,あるいは「回復」という経験が全くあてはまらない遺族がたくさんいる.したがって単純すぎる提案かもしれないが,「変化」で遺族が経験する心の動きを記述することを提案したい.
  • 喪失とのもがき,そして成長という経験:大切な人を亡くした遺族の方々は元の生活には二度と戻れないことを知っている.その人がいなくなったこの世界は,別の世界であり,故人の思い出,亡くなった時の状況などが記憶・イメージとして貼り付いているような状態で生きている.仮に症状に着目するならば「治癒」がありえないようなケースも多々あり,そういうケースにおいて,我々が提唱してきたPTGが時として観察されることがある.それは下記の5つに分類できる.
    • 新たな可能性:夫を亡くしたある女性が,それまでやったことのないような作業(車を修理に持っていくとか,お金のこと,肉体作業的なことなど)をやらざるを得ない環境になり,意外にも自分には無理だと思っていたことができたその意外性に喜びを感じ,苦痛の中でひととき変化を感じるケースがある.
    • 関係性の変化:遺族の中には,喪失経験による傷つきから,特に自分と同じように大切な人を亡くした人に対して,あたたかな気持ちで見守ろうとするような変化を経験する場合がある.
    • 傷つき,でも強くなる:喪失は,人の命の有限性を我々に突きつける.特にその死が全く予期しない突然のものであり,かつ理不尽な状況で起きた場合,どんなに誰を,何を恨んでも,その人は返ってこないという現実と直面する.そのような経験をした人の中には,人生の中でこれ以上ひどいことはない,ということを経験したことが逆説的に自分を強くしたという実感を持つ人も少なくない.
    • 感謝:亡くすという経験,あるいは死の寸前までいったという経験は,時に,人生に対してそれまでとは根本的に違う見方を促すことがある.別の方角から認識しなおしたり,ある点においては逆説的に感謝を覚えるようになる.
    • 実存的及び精神性的な成長:死ということに関して言えば,納得できるような答えはないことの方が多く,未解決で目標も失ったまま,疑いや混乱の感情に圧倒される状況が長きにわたって続くことが多い.特に死別においては,死後の世界に旅立った人を思うがゆえに,喪失の苦しみが癒えない状況でも,宗教や精神性に関して,それまでとは違うものの見方をすることがある.
  • 回復をより理解する:今後の方向性として,喪の過程を検討する際には,回復ではなく,より中立的な「変化」,特に本人のおかれている文化的背景の影響を考慮した上での変化に注目することが大切だと考える.例えば,ある文化では,死について話しずらい文化的規範があるかもしれない.また,夫婦間で悲嘆の表出にはずれがある場合も多い.個人内要因にばかり焦点を当てず,関係性や背景も取り入れて喪の過程を「変化」の枠組みから,全体的にみることが大切であろう.

レビューは以上.

この論文を読みながら,DSM5に死別障害が加わったときのことを考えていた.悲嘆は障害または病気なのか,という議論は今にはじまったわけではなく,そういう用語上での分け方がすべてなわけでもないと思うが,「回復」をイメージしていると,カウンセリングの目標もそれにひきずられるのではないかと思う.回復や解決がない状態で,絶望や無力感におちいることが自然な状態で,日々生きていくとはどういうことなのだろうか.ただまだ死んでいないということだけなのだろうか.一見,通常の生活を送れているように見えたとしても,大切な人を亡くしたことによる心の穴,その人の無念を晴らさないでは死ねないという気持ち,故人の遺志を継ぎたいという願い,何が何でも真実を明らかにしたいという欲望,それらに寄り添う過程にどうしても「回復」はあてはまらないと思う.「変わる」ことはあっても元通りにはならないし,今,ここでの「私」にとって,「私が回復するかどうか」よりも,はるかに重要なことがあるという心の叫びがある.「元には戻れない」ことを繰り返し叩きつけられる中で感じる苦しみに対して,その苦しみそのものは楽になったりしなくとも,苦しみの意味が変わったり,生きる意味あいに何らかの変化が起きるという可能性がある.その「変化」に,それぞれの文化や個人による価値観がくっついたとき「成長」という用語であらわされるものがあり,それがPTGの源になっている.したがって,PTGと回復は別ものだ(と私は思う.そしてこの気持ちのまま,またハンドブックの執筆に戻ろう).

以上.

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