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Fischer (2006)

1月 14, 2013

Fischer, P. C.  (2006). The link between posttraumatic growth and forgiveness: An intuitive truth. In Calhoun, L. G., & Tedeschi, R. G. (Eds.), Handbook of posttraumatic growth: Research and practice (pp.311-333). Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates.

PTG研究をしていると,PTGという経験がその後の何に役立つのかという問いがつきまとう.PTGを経験することで,何かの疾病を予防できるのか,症状の進行を遅らせることができるのか,問題行動と呼ばれるような行動を制御できたり,向社会的行動のような望ましい行動をより促進できたりするのか.カルホーンとテデスキがまとめたPTGに関するハンドブックの第16章で,Fischerは,ゆるしとPTGについて論じている.ここで述べられている内容は,2002年に,APA (American Psychological Association) という学会で,テロの後のPTGについてDr. テデスキがメインでシンポジウムが開かれたときに彼女が発表した内容がもとになっている.その頃私は,そんなシンポジウムが開かれていることなど全く知らず,名古屋大学博士後期過程の学生で,PTGの考えやエリクソンの標準的危機の考え方なんかについて名古屋大学の紀要に論文を書いて,これから学位論文をどうまとめようなどと模索していた.

  • 調査対象と調査内容:1995年におきたオクラホマ連邦政府ビル爆破事件の被害にあった226人が対象.ここで報告されている内容は,その7年後に,ニューヨークの同時多発テロ事件が起きたことをふまえ,彼らに,そのテロ事件がどういう影響を及ぼしたかについて自由回答形式で問うた内容と,PTGIやHeartland Forgiveness Scale (HFS)といった尺度を用いた調査結果がメインになっている.
  • 主要な結果:自由回答からは,オクラホマ連邦政府ビル爆破事件をきっかけとして,PTGの5領域(他者との関係,精神性的変容,人生に対する感謝,新たな可能性,人間としての強さ)すべてを網羅するようなポジティブな変化が経験されていることがみてとれた.9.11の同時多発テロ事件の被害者の人たちのことを他人とは思えず,自分にできることがあるだろうかとオクラホマから駆けつけた人も多く見られた.同時多発テロ事件を見て,自分の以前の経験(つまりオクラホマ連邦政府ビル爆破事件)があったために,自分自身強くなっており,そこまで動じなかったと回答した人がいる一方で,逆に,以前の経験のためにより敏感に傷つきやすくなっている自分に気づいたと回答した人もみられた.また,肝心のゆるしとPTGI得点の関連については,両者の間に有意な相関関係は見られなかった.ただし,PTSDの診断基準を満たすかどうかとゆるしの間には有意な関連が見られた.PTSDの症状を示している人ほど,ゆるしの得点は低かった.

最初に書いたように,PTGを何のために研究するのかという問いに答えるために,例えば,多くの人は,イライラや怒りをうまくコントロールできるようになればと望んでいるだろうと考えてみる.イライラや怒りは様々な身体症状を引き起こしたり,人間関係にも問題を引き起こしたりするので,怒りをうまくコントロールできるようになればとてもいい.怒りの持続や程度に関しては,様々な要因が影響を及ぼしているが,そのひとつに「ゆるし」があることが分かっている.自分,他者,状況などをゆるせないことから負の感情が出てきて,怒りにつながる.それはこのFischerの研究でも,ゆるしがPTSD症状と関連していることからよくわかる.なので,もしもPTGを経験した人は「ゆるし」を経験しやすくなるということが言えれば,PTG–ゆるし–怒りの低下とつながり,PTGを研究する意義がまた一つ増えるというものだ.けれども残念ながら,PTGとゆるしの関連については確固とした知見がない.

ゆるしという構成概念は日本でも研究が増えているけれど,PTGと似て難しい面があると思う.直感的には,どうしてもゆるすことのできないような出来事に巻き込まれざるを得なかった人が,様々な心の葛藤に折り合いをつけて,ついにゆるすことができたと自分で思えた場合には,それは「PTG」だと思う.けれども,実証的にゆるしとPTGを数量的データで取るとその結果は仮説を支持していない.方法論的問題とともに,ゆるすとは何かという問題が複雑に絡み合っているからだと思う(この点,人が成長するとはどういうことかという問題とよく似ている).

私は冬休みの間,何冊か本を読んだのだけれど,そのなかで三浦綾子の「氷点」「続・氷点」に出てくるゆるしがとても心に残った.完全なゆるしと不完全なゆるし.そして,このFischerの論文の中に出てくる知見も,1995年のオクラホマの後,もし同時多発テロが起きる前に同じことを聞いていたら違った回答が得られたはずだと思う箇所がたくさんあった.自分ではもう折り合いをつけているつもりで(ゆるしているつもりで)いたのに,何かが起きたときに,まだ実は完全には折り合いがついていなかった(ゆるしてはいなかった)という気持ちがもたげてくることはよくある.成長もまた,ある一時点では,「自分はあの出来事をきっかけに人として成長した」と思っていても,どの時点で,「いや,まだまだだった」と思うか分からない.

2013年もどうぞよろしくお願いします.

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