ホーム
> PTGの文献・出版物 > Fleeson (2014)
Fleeson (2014)
3月 4, 2017
Fleeson, W. (2014). Four ways of (not) being real and whether they are essential for post-traumatic growth. European Journal of Personality, 28, 336-337. doi: 10.1002/per.1970
去年のサバティカルをきっかけに研究テーマを広げたので,勉強することがたくさんある.それぞれのテーマの背景や歴史を知らないこともあって,論文を読むのにも時間がかかる.とは言え,新PTGハンドブックの執筆は続いていて,今週は「PTGを本物―幻と分類すること」についてどう考えるか,という章を執筆している.来週からは臨床実践の章に入る.ちょうど昨日,うちの大学では大学院生の面接があったが,私のラボに応募してくる学生の多くがこの「本物のPTGと幻のPTG」というテーマを修論ないしは博論にしたいと考え,さまざまなアイデアを持ち込んでくる(ちなみにアメリカでは大学ごとの院試はなくて,GREというテストがあり,その結果とGPAとカバーレターと推薦書等を総合して決める).さて,院生のみならず多くの研究者がこの部分をなんとか解決しようとここ数年,躍起になっているが,「別に解決しなくてもいい場合もあるんじゃない?」という論考があったのを思い出したので,それをレビューしたい.
- そもそもこの論文は,以前取り上げたJayawickreme とBlackieによる巻頭論文(リンクはここ)に対するコメントである.彼らの論文に引き続いて15の意見が掲載されており,最後には彼ら自身による返事も掲載されている.こういう形式のジャーナルは,研究者の人間性が出ていておもしろいなと思う.皆,自分なりに言いたいことがたくさんあるのがよく分かる.ずっと前,2004年にTedeschiとCalhounがPsychological Inquiryという雑誌でPTGについて巻頭論文を出したことがあるが,その時も同じように,ジャーナルの中で他の研究者がそれに引き続いてコメントするという特集があって,同じ記述に対しても,ここまで人は違う解釈を持つものかと思った.以下,その15の意見(ちなみに,15番目が,Tedeschiらによるコメント)のうちの4番目,Fleesonによる論考をまとめる.
- おさらい:Jayawickreme & Blackieによる巻頭論文では,「PTGとは,パーソナリティ,すなわち個々人に特有の認知,感情,行動などのまとまりが,トラウマをきっかけとして時系列にそって変化し,その変化が一時的なものではなく,ある程度持続することである」と定義して,今ある論文のほとんどはそれを正確に測定できていないという批判から始まっている.パーソナリティの変化こそがPTGであるはずなのに,横断的方法かつ自己報告のみに依拠して,「私はその出来事をきっかけにこう変わりました」という回答を受け取るだけでは,PTGの本質をとらえられていないという主張である.結論は,「本物のPTG」をみるためには縦断研究が絶対不可欠だ,である.
- Fleesonによる議論:
- Jayawickreme & Blackieによる論文の中で,「real PTG」とか「actual PTG」,つまり,本当のPTG,実際のPTG,また本物のPTGという言葉が50回以上出てくることからも,著者らがこの部分にこだわっていることがうかがえる.
- けれども,「本当の」とか「実際の」とか「本物の」といった言葉は,抽象的であり掴みずらい.したがって「本当のPTG」が何を意味しているのかよくわからない.けれども,この論文で私が言いたいことは,そもそも「本物かどうか」という議論自体が不毛な場合もあるのではないかという点である.大体,トラウマを経験せざるを得なかった人が,一筋の希望の光となるようなことを口にした際に,「本物ではない」なんて果たして言えるであろうか.
- 以下には,「本物かどうか」の議論が必要な理由を3つまとめて,その後,どういう観点で本物かどうか見極めるのかについて4つの立場があることを整理する.
- (理由1)かりに「本物のPTG」とは,何か恩恵をもたらすPTGであり,「偽者のPTG」が恩恵をもたらさないPTGだと考えるのであれば,「本物のPTG」を追求することには意味があるだろう(例えば,本物のPTGを経験することで,症状が良くなるなどの恩恵があるならばそれはやはり大事だ).
- (理由2)かりに「本物のPTG」があることで,介入プログラムが開発されるなどして,多くのトラウマサバイバーが成長を経験しえるような臨床実践につながるのであれば「本物のPTG」を追求することには意味があるだろう.
- (理由3)かりに「本物のPTG」とは,自分が変わったという信念の正確さを表しているのであれば,まあ多少は「本物のPTG」を追求することに意味はあるだろう.けれども,先行研究で,たとえ信念が正確でなくとも,ひどい真実よりは良い意味を持つことが明らかにされているので,この三つ目の理由は上二つに比べて弱いと言わざるを得ない.
- (立場1)PTGが行動にうつされていないから「PTGは本物ではない」という立場がある.もしこの立場に立つのであれば,「本物かどうか」はそんなに大切ではないと考える.というのも,成熟,英知,自己超越など,一対一の対応として心の成長が行動にうつされないものもたくさんある.だからと言ってこころの成長が大事ではないという結論にはならないはずだからである.
- (立場2)PTGは必ずしもトラウマによって引き起こされるわけではなくて,トラウマを経験していなくても成長は起こりえるのだから「PTGは本物ではない」という立場.この立場であっても「本物かどうか」はそんなに大切ではないと考える.というのも,トラウマを経験した人にとってトラウマがなかった人生は存在しないので,たとえ,トラウマがなかったとして同じような成長が経験できたとしても,だからと言って,トラウマサバイバーへの介入方法の開発を止める理由にはならないからである.
- (立場3)PTGの自己報告が,時系列的に見た場合の,前と後での実際の変化を反映していないから「PTGは本物ではない」という立場がある.この立場だと,「本物かどうか」は多少は重要かもしれないが,まだそこまで大切ではないと考える.というのも,その時,その場での成長の実感がウエルビーング,すなわち精神的健康にもしもつながっているのであれば,介入方法を考えるだけの充分な理由になるはずだからである.
- (立場4)PTGの報告が,日々の生活の実際を全く反映していない時に「PTGは本物ではない」という立場.この立場のみ「本物かどうか」がとても重要になると考える.例えば「あの出来事をきっかけとして,家族と楽しく過ごす時間が増えました」と言ったならば,その人は,実際の生活で家族と楽しく過ごす時間が増えていなければならない.もしそこに齟齬をきたしているのであれば,それは大問題であり,この条件において「本物かどうか」見極める必要があるだろう.
- まとめると,本物かどうか追求する理由には3つあるけれど,「本物のPTG」とはどういうことなのかという意味を考えたときには,4つある立場のうち,最後のみ,あるいは最後と最後から2番目のみが重要になってくるであろう.
以上
カテゴリー:PTGの文献・出版物
actual growth, illusory PTG, personality, PTG